2010年2月23日火曜日

パレスチナ人の聖地エルサレムへの入域を禁じた

2010年02月23日付アル・アハラーム紙(エジプト)HP1面

【ラーマッラー:ハーリド・アル=アスマイー】【エルサレム:通信各社】

 イスラエル占領当局は一昨日の深夜から3月1日の深夜まで、ヨルダン川西岸地区とエルサレムを完全に封鎖し、青色のIDカード[東エルサレムのパレスチナ住民用ID]を所持していないパレスチナ人の聖地エルサレムへの入域を禁じた。就労許可証を所持する者は例外とされている。またエルサレムや1948年占領地[イスラエル領内]の住民が金曜礼拝を行うためにエルサレム旧市街とアル=アクサー・モスクに入域することにも一層の制限を課した。

これらは礼拝を終えた者たちが、ヘブロンのイブラーヒーム・モスクとベツレヘムのビラール・ブン・ラバーフ・モスクの聖域をユダヤの文化遺産として登録するというイスラエル首相の決定に反対して、大規模デモを行うことを警戒しての措置である。イスラエル軍は、エルサレムへの主要な出入り口に置かれた常設の軍事検問所や通行所の兵員を増強 し、旧市街中心部やアル=アクサー・モスクに至る道路や通りの大半にバリケードや軍事検問所を設置した。

 一方、ヘブロンとイブラーヒーム・モスクの聖域周辺では、イスラエル軍に対するパレスチナ人の拒否と対峙が続いていたが、ついに悪天候と降雨のため、ヘブロンの通りからは憤ったパレスチナ人たちの姿がいったん消えた 。

 ヘブロンのモスクで金曜礼拝を終えたパレスチナのサラーム・ファイヤード首相は、ヘブロンのイブラーヒーム・モスクの聖域とベツレヘムのビラール・ブン・ラバーフ・モスクをユダヤの文化遺産リストに加えるというイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相の発表に対し、次のように述べた。「このイスラエルの決定にはイスラームの聖域をユダヤの史跡と位置付けることを目的とした政治的側面があると、パレスチナ人たちは正しく理解している。これはパレスチナ市民も歴代の指導部も拒否してきたことだ」。

さらにファイヤード首相は、「自由の夜明けは、パレスチナ国家の首都たる東エルサレムの旧市街の路地からあらわれるだろう」と続け、パレスチナ人たちがイブラーヒーム・モスクの聖域とビラール・ブン・ラバーフ・モスクがユダヤ文化遺産に組み込まれることを拒否する決意において団結していると明言 した。そして、「パレスチナ人たちは完全な権利の獲得とこの地に踏みとどまること、そしてそこに占領終結に向けた前向きな状況を作り出すことを決意しているのだ」と語気を強めた。

 ファイヤード首相は、ヘブロン市民と大量のイスラエル警備兵に囲まれて、ラーマッラーのパレスチナ自治政府の数名のメンバーと共に金曜礼拝に赴いた 。

 これより先にイスラエルのネタニヤフ首相は、「ヘブロンのイブラーヒーム・モスクの聖域とベツレヘムのビラール・ブン・ラバーフ・モスクを[ユダヤ史跡に]含める決定に対するパレスチナ人たちの反応は、決定の内容に関する彼らの誤解に起因している」と述べていた。

 ネタニヤフ首相は、「マクペラの洞窟(イブラーヒームの聖域)やベツレヘムのラケル廟(ビラール・ビン・リバーフ・モスク)の現状に一切の変更は加えられない。海外では誤ってこれを政治的決定であると見なした向きがあるようだが、イスラエル政府がこの2つの場所を文化遺産リストに含めるとした決定は、政治的性格を持つものではない」と付け加えた。

 イスラエルがパレスチナ人を煽っているようにしか思えない。

 イスラエルにも良心的に兵役を拒否した人がいたが、その後どうなったのだろうか?

 たしか NHK特集だったはず。

 アメリカが悪い、イスラエルが悪い・・・・・アメリカにもイスラエルにも良心的な人がほとんど。一言で敵とみなす言葉が怖い。国を語る時、国民や民族、国益を語る人に注意しなければならない。